社長が語る「アズパートナーズ物語」
アズパートナーズが生まれるまでの、私の学生時代やサラリーマン時代のエピソードをお話します。
目次
僕は野球少年でした
高校は甲子園を目指す強豪校で、とにかく甲子園に行きたくて行きたくてしょうがない野球少年だったので、その高校に行きました。
でも、ありがちなんですが、思春期に入り「坊主頭はいやだ、髪の毛も伸ばしたい、野球だけで人生終わってはいけない」と思うようになったんです。
甲子園のためにその高校に行ったくせに、野球を辞めて、でも、スポーツは好きだったので、ハンドボールをしながら髪の毛も伸ばして、遊びのほうに走っていました。それも楽しい経験でしたよ。
板前で生計を立てていた大学生時代
そのまま大学に入学して、「このままじゃいけない」と思い、まずは実家を出て、自分で稼いで、自立して生きていくことにしました。 4年間、大学に通いながら、和食のお店で板前として生活費を稼いでいて、3年目のときには調理師免許もとりました。当時はかつら剥きとか、お刺身とかも出刃と柳の包丁で一通りできたんですよ。
こうして自分で稼いで生活していたものですから、大学時代にはすでに「会社をつくりたいな」という思いを自然と持つようになり、学生の仲間で会社をつくって企業のスポンサーを付けてのイベントを開催したり、スキーツアーを企画したりしていました。
正直、よくある女の子にモテたいから企画するみたいな、ちょっとちゃらい感じの活動でしたがね(笑)。しょうもない大学生活だったかもしれませんが楽しかったです。
小さいベンチャーサラリーマン時代の経験とそこで得たもの
将来的に自分で会社を興したいなと思いつつも、よくわからなかったので、とりあえず1度サラリーマンになってみようかと思って就活をしました。
小さい会社の方が入社したときに活躍できるのかなと思い、内定をもらった中で1番小さい会社だった不動産関連の会社に入社して、その会社に約10年勤めることになります。
その間、「バブル景気」とその崩壊とか、不動産業界にとっては激動の時代でしたが、いい経験をさせてもらいました。
そして30歳を超えたころ、「ちょっと違う景色を見たいな」と思うようになったんです。
というのも、ポジションが上がっていろいろな意思決定を自由におこなえる立場になった方が楽しい、でも、この組織でこのまま中間管理職でいる限り、それは難しいと感じていたからです。
その会社も働いている仲間も大好きでしたが、このままでは私自身が成長できないと思い、思い切って転職にトライ。私の初めての転職は、同業者のお知り合いから紹介して頂いた、マンション事業で急成長をしていた小さい会社でした。
前社と比べれば、整備されていないことも多かったですが、その分やりがいもたくさんありました。
会社・仲間と切磋琢磨する中で、会社が急成長。2001年ジャスダック上場、2003年東証二部上場を経て、2004年東証一部に上場することに。私も部長から最後は常務を経験させてもらいました。
この時に得た経験は、今でも経営という観点で物事を考える時の肥やしになっています。
そこで6年間勤めた後に、以前から掲げていた「自分の会社を持つ」という夢へ、1歩、足を踏み出すことにしました。
幸いなことに「独立したいのですが」という話を当時所属していた会社の社長にすると、「応援しましょう」と言ってくださって。
そこで、1年間ほど、体裁を整えた後に、2004年に完全に独立をしました。